東京額縁とは



沿革と特徴

 

日本では昔から、生活空間を彩る屏風形式の絵画が愛好されてきた。

現存する古いものでは、正倉院の「鳥毛立女屏風」がある。室町時代、足利義政の時代には豪華な金地の屏風絵が普及した。織豊時代に開花した桃山文化では、狩野永徳による雄大華麗な「唐獅子図屏風」がある。また江戸の元禄期(1688-1704)には、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」などがある。

日本で額縁が本格的につくられるようになるのは明治時代を迎え欧米文化の摂取の中で洋画(油絵)の技術が流入されてからである。画家の指示により指物師が木枠をつくり、仏師(仏像彫刻師)が彫刻し、塗師が漆塗り仕上げをしていた。

専門の額縁師としては明治25年(1892)、当時塗師であった長尾健吉がフランス帰りの洋画家山本芳翠の勧めで、芝愛宕町に小工場を建てたのが最初だといわれている。

 

〜東京都産業労働局HPより引用〜


東京額縁の特徴

和額縁と洋額縁

 

 

東京額縁には、和額縁と洋額縁の2種類がありますが、ここでは簡単な解説を書きます。

和額縁については天然木を使用して、蜜蝋で何度も磨き上げて天然木の木目を浮かび上がらせ、手に馴染むような手触りを持たせるのが主な仕上げ方です。主に寺社仏閣や、和室に合うような額縁なのですが、現在の住空間でも馴染むようなモダンな仕上がりでもあります。

木型を用いて額縁の装飾を作るのが1番の特徴

 

東京額縁の一番の特徴として、洋額縁の製作技法があります。和菓子の落雁などで用いるような、木型職人が作る木型を使用して装飾を作り出します。

木彫を行う場合もあるのですが、それにはコストと時間が大きくかかってしまうので、西洋文化が入り東京で額縁を量産する手段として木型を用いて装飾的な額縁を作る技法を生み出し、製作されてきました。

また、額縁職人自ら型を作ったり、お客様の要望で型を作り複製をする場合もあります。

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